2008年06月08日
「炭焼き谷物語」

「炭焼き谷物語」
戦いが歴史を変えるのは良くある事です、戦いが文明や文化を
変える事もしばしば有り、第一次世界大戦では飛行機が発達し
第二次世界大戦ではロケットが誕生しました。
美濃の国に一つ小さな村が有りました、この村が大きく変わったのは
ひょっとすると歴史的な大きな戦いだったのかも知れません。
美濃と近江の国境辺りで日本最大の天下を左右する戦いが起こり
勝敗が決まりかけたある日西軍に付いていた南国の武将が
事も有ろうに敵前逃亡を敢行した、秋雨が降りしきる山道を
追っ手から逃れて小さな集落にさしかかった頃、
足軽頭が大将にこう言った
「親方様!足軽数十人が疲れ切っております、刀傷の他にも
大量の出血が見られます」
数百の軍勢の最後尾の足軽には戦いの傷とは思えない
幾つもの出血が有った、9月の雨にはヒルが出るのは必至で
最後尾の足軽は被害甚大であった。
「追っ手は近いか?」と武将は軍師に聞く
「ここまで来れば大丈夫かと存じます、もう半里も行けば名もない
小さな集落が有ります」そう答える軍師の足にもにじむ血は一筋や
二筋では無かった、
「そうか、では先回りして偵察して敵方でなければ軍勢を一晩休ませよう」。
集落は40戸ほどで谷沿いの細い道に寄り添い麓の村からは
孤立している、ヒルの攻撃は更に激しく戦いの疲れ、刀傷の
出血さらにはヒルの出血に見舞われ倒れる者まで出てきた。
疲労困憊で集落に着いたのはもう夕暮れ、
「長老どの、一晩厄介になる」「こんな小さな村によくぞお寄り
下さいました何もございませんが・・・おい、生け簀の魚を
皆さんに」と振り返り村の衆に指図した、軍勢はそれぞれの
民家に上がり休憩をしながら焼き魚やにぎりめしをほおばった。
朝捕ったアマゴを囲炉裏端で焼き数日生け簀に入れてあった
鱒を刺身で振る舞った、ワサビは集落の周りにいくらでも自生している、
「この魚は何と言う魚か?」海の魚を食べなれた武将には
大きさが物足りない様子だが炭火で焼かれた魚が不味いはずがない
「この魚はアマゴともうしまして刺身の魚はそのアマゴが
海から戻った姿でございます」
「ほう、こんな山の魚が海へ下ってまた戻って来るのか?
初めて聞く話じゃのう・・・しかし・・美味い」
新鮮なワサビの効きに絶句しながらの会話であった。
「ところでこの村は東軍の陣内では無いのか?」
「いえいえ、戦場はもっと向こうです」と北を指さして
「戦場に在らずは敵国に在らず」と付け加え更に
「小さな村での困り事はお互い様です。」と続けた、
「すまぬ」武将は深く頭を下げた。
しばらく談笑をして武将はこう言った、
「夜更けに追っ手が来ては村に迷惑が掛かる
何処かに隠れ場所は無いか?」
「どうしてもと言われるのならば谷に入って
山仕事の小屋に隠れるのが良いかと存じます、
ここまで来る追っ手ならばすでにヒルの餌食に
なっているはずです、ましてや敵が南国の軍勢ならば
怯えて一目散に山越えをしたと思うはずです、谷に
は塩を大量に持って行ってくだされ」
と長老は塩を一俵持って来るように村の衆に命じた。
「すまぬがもう一つ、戦いで倒れた者をしばらく
この村で養生させてやってくれぬか?迷惑ならば
遠慮無く言ってくれ」武将はまたしても頭を低くした
「いえいえ、迷惑などと・・戦に若い衆を取られて
山仕事の人手が少なくなっていたところです
この戦もそろそろ終わってもらわないと・・・
しかし戻って来ぬ衆もかなりの数になりそうで
ございます、追っ手が乗り込んで来れば流行病とか
疫病でごまかしますのでご安心を」
「まったくもってすまぬ、この恩は必ず!」
動けぬ兵を集落に残し軍勢は谷へ入った、
持ってきた塩で小屋を囲いヒルの進入を防ぎ
更に着ている物に軽く塩を塗り込み疲れ切った
体を休めた。
翌朝雨は上がったが木の葉からは滴が
何度も落ちてくる、長老はすでに武将の
小屋の外で一服していた、
起きてきた武将が「長老どの追っ手はどうじゃった?」
と聞くと「村の娘達に夫婦の振りをさせて疫病の
看病らしく見せて伝染すると言ったらそそくさと
退散しました」
「見事な長老どのの機転じゃのう、わしも退散するぞ」
「小屋の周りの塩をまたかき集めて一人ずつ袋に入れて
持っていってください、時々着物を濡らして塩を塗り込んで
ヒルの被害を少なくしてください」
「いやあ本当に恩にきる、一生忘れぬ、それにしても良い
森じゃのう、山仕事も楽しかろう」
「御意にございます、山仕事は厳しいですがその厳しさ故の
楽しさも山や谷が教えてくれます・・・ではお気をつけて!」
ついに南国の武将は追っ手から逃れて大阪までたどり着き
船で帰った。
時代を揺るがした大きな戦いは終わり
すぐさま恩返しに大量の塩と米を谷間の小さな村に
送った、村に残った兵は元気になり山仕事の手伝いを
始め村の娘と夫婦になる者も数人居た。
その秋送ってきた塩で鱒を漬けてそれをお礼にした。
「親方さま!美濃の村から鱒が届きましたワサビと炭も
一緒です、さっそく頂きましょう」
地元の鯛の刺身と美濃の鱒の塩漬けに舌鼓を打ち
殿の心にはは思わずあの一夜が蘇り
「あの一夜が無ければ・・・」か細い声でささやく
殿の目からは滴が一滴、
「殿、何か悲しいことでも・・・」
「馬鹿者!ワサビが目にしみたのじゃ!、お主こそ!」
「いやあ、良いワサビは人の心にも効きますなあ」
「あの村は今頃どんな様子かのぉ、飢饉で苦しんで
いなければ良いが・・・そうじゃ谷間の痩せた畑でも
出来る野菜の苗を送ってやれ」
「ははあ、サツマイモが良いと思われます、来年送りましょう」
その後も村からは春の山菜、秋の山菜、炭、ワサビ、鱒等
南国の殿の楽しみにもなりました。
残った兵も村に馴染み山仕事にせいを出していましたが
炭を焼く技術も身に付けてきた頃南国の殿と親しい
殿から「良い炭が在るとの話を聞いたのでこちらにも
是非送って頂きたい」との依頼が来た、足軽から
炭焼き人に転職した者達は目を輝かせながら
炭焼きにせいを出した、手と言わず顔と言わず真っ黒に
なり笑顔で炭を焼いた、美濃の小さな村の炭は
みるみる内に評判を呼び谷のあちらこちらに煙が
上がって村は活気に溢れてきた、
ついにこの村は炭焼きだけで生計を立てられる様に
なりました。
「村への恩」
「殿への恩」
それぞれの恩が実を結んだお話でした。
このストーリーを書く上で題材にしたのは関ヶ原の戦いの
時に南国の武将が敵前逃亡を敢行し一目散に集落の
前の道を通り過ぎて山越えした事ですが
逃亡を開始したとき総勢千五百人で無事に帰ったのは
僅か八十人だったそうです、
帰れなかった兵士達がすべて死んだとは
思えず何処かに隠れたり村に匿ってもらったり
したのではないかと想像します(妄想)
この逃亡の一件でこの南国の藩は幕末まで幕府に
一目を置かれるほどの藩になりました。
一方の炭焼き集落は関ヶ原の戦いの10年ほど
後から本格的に炭焼き産業の地となり
東北へも出荷するほどの有名な産地となり
現在に至っています、面白い事に
炭焼きの釜跡の数と最盛期の集落の
戸数が近いです、無理な量産はしなかった
のかも知れません。
サツマイモは江戸中期以降に移入されたため
ストーリー上での妄想です。
以上、駄作の短編でした(長編なんか書けるのか??)
追記(2020.0609)
最近ネットで見た情報では
炭焼き集落を西へ峠を越えて数キロ行った所に
結構大きな集落が有って明治時代には旅館や郵便局や
学校も有ったそうです、
島津の軍勢はそこで休憩したそうです、
とにかく峠を越えて違う国(古い時代の)へ
行きたかったのでしょう。
おいかわ